もくじ
父が入院した。
1935年生まれの85歳。いわゆる高齢者だ。
母が脳梗塞で緊急搬送されてから、父は実家で一人暮らしをしている。母は、1年半の入院ののち、老健に入所し健在。父は要介護1,母は要介護4。
父は重度の認知症とおなじく重度の視覚障害があり、昼間はデイサービスを利用し、夜は娘(父から見れば孫と娘)の二人が交代で泊まり込むだけのなんちゃって介護を続けて、約5年たつ。娘であるわたしの自宅から実家は、電車で約1時間。
娘も私も職場と実家を往復する。
5年間、父は毎日元気にデイサービスに行っていた。
始まりは、風邪の症状。とくに痰のからまりと軽い咳。
熱が出たのは二回。
一度目は、咳が最初に出始めたころで、37度3分の発熱、数時間で平熱に戻る。翌日発熱外来を予約、PCR検査の結果は陰性。熱が自力で下ること、歩いての通院が出来たことなど症状も軽く、処置も薬の処方もなかった。軽い風邪でしょうということだった。
しかし、痰と咳の症状はこのあと一月続く。
二度目の発熱は更にひと月後の夕方。37度7分。解熱剤を使わずに数時間後に37度3分に下がり、朝にも37度代が続く。
食欲はあり、味覚も正常。ただ、呼吸困難の症状がひどくなっていた。食事も取れない。
横になると、苦しい様子で座って目を閉じ、肩で息をする。口で呼吸するようになっていた。あきらかに様子がおかしい。
ひどく苦しそうだった。
救急要請
移動手段としての車を持たない高齢者の家族は、救急車を依頼した。一応主治医への電話連絡をしてからの救急要請。
父の普段の様子との違いは、あきらかだし「すぐに救急車」の状態だと判断した。
自分で歩けると言い張る父を無理やり担架で救急車に乗せる。
酸素濃度はかなり低下していたようで、すぐに酸素マスクを装着し病院に搬送された。検査の結果は、即入院だった。
重症の肺炎。
PCR検査は陰性。新型コロナではなかった。
意識ははっきりとしていたし、自分の名前も言える。
担架に乗せられて不満そうな父に救急隊員さんは、拍子抜けした様子だった、じっとして寝ててくださいと指示してた。
父は、軽症患者に見えたのかもしれないなあ。
救急要請のタイミングは難しいと思う。救急搬送されてから、私が帰宅するまで約5時間。自宅で待機してくれていた娘は、その間、2台もの救急車が通ったと言っていた。
酸素濃度の装置や酸素マスクを装着しつつ、聞き取りからの搬送先の病院とのコンタクトなど、救急隊員さん、本当にありがとうございます。